■「どうせ死ぬのなら、生まれてこなければよかった」のか? 「イチロー菩薩」について考える

イチローの米野球殿堂入りが話題になっています。

イチローは、仏教・哲学者界隈で「イチロー菩薩」と呼ばれています。「菩薩」とは「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略です。「菩提(ぼだい)」は「仏の悟り」を意味し、「薩埵(さった)」は「求める人」という意味です。

つまり、「仏の悟りに向かって努力している人」を「菩薩」といいます。


ここで、先ごろ弊社スローウォーターから発売開始した書籍『東寺のお坊さんの法話集 第3巻/運命は自分がつくる』(山田忍良 著)から、この「菩薩」について語られている一文をご紹介します!


■人間とは何か?

「人間とは何か?」……いろいろな答えが考えられるでしょうが、仏教では、どのように考えているのでしょうか?

人間は科学的には動物の一種ですが、仏教では、衆生(しゅじょう)を表す六道(六趣)「地獄・餓鬼(がき)・畜生・修羅・人間・天」の一つで、畜生、すなわち平たく言うと「動物」の上に位置しています。「動物の一種であるが、単なる動物ではない」と、仏教は考えているのです。

人間とは、ただ「目や口や鼻があるもの」ではないということです。「目があって、鼻があって、お腹がすいたらご飯を食べて……、生まれて、歳をとって、病気をして、やがて死んでいく」存在? それでは動物と同じになってしまいます。

なるほど、衆生の中にいるのですから、「生まれて死んでいく生死(しょうじ)の世界」にいて、形は動物の形をとりますが、仏教は人間を「精神的」にとらえているのです。動物の形をとった「苦悩するもの」つまり、「生きていることを悩んでいるもの」と定義するのです。

動物は「生きることを悩んではいません」。本能のままに、一生懸命生きています。人間だけが、生きることを悩んでいます。生きていながら、いや、もっというと、生まれていながら、生まれたことを悩み、生きていることを悩み、そして、死んでいくことを悩んでいます。

これは考えてみると不思議なことです。そんなに悩むのなら、生まれてこなければよかったのです。ましてや、生まれたくないのに生まれてしまったのなら、早く死ねばいいのに、今度は「死にたくない」と考えます。これだけ考えても、「生まれさせられた存在」である、ということがわかります。同時に「死なされていく存在」である、ともいえます。

そうです、人間は衆生(しゅじょう)の形をとった「精神的な存在」なのです。「衆生」、すなわち「生きとし生けるもの」、すなわち「生死の世界」にあえて生まれて、「生死の世界」の背景にある「無生(むしょう)無死(むし)(不生(ふしょう)不死(ふし))の世界」を証明するために生まれた、特別の任務をもった存在ではないかと思うのですが、どうでしょうか?

特別の任務とは、悩むということです。悩むのが仕事なのです。苦しんでいることを見つめるのです。それを宗教というのです。人間だけが宗教的存在です。にもかかわらず、動物と同じような生活を送っている人が多い。いや、動物は分限(身のほど)を知っていますから、そういう人は動物以下なのです。自らの苦を見つめる心(=宗教心)を持たない人間は、人間ではありません。人間は宗教から生まれてきたのです。

人間が「悩む者、苦悩する存在である」と見破ったのが、仏教です。無生無死の世界を「菩提(ぼだい)」と名づけると、菩提に目覚めて、菩提を志向する者、もはや、その人間は動物的人間ではないから「菩提心をもった衆生(薩埵(さった))」すなわち、「菩提薩埵(ぼだいさった)」=「菩薩(ぼさつ)」という呼び名に変わるのです。

ですから、私たちの目標は菩薩に目覚めることなのです。

(真言宗総本山東寺 山田忍良)

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