■SlowWater(スローウォーター)とは
「スローウォーター=ゆっくりと流れる水」のコンセプトは「行雲流水」。
空を行く雲や流れる水のように、物事に執着せず、自然の流れに逆らうことなく生きていく様子のことです。
また「水」は、時に小川のように静かにサラサラと流れ、時には荒々しい激流となり岩をも砕きます。水ほど柔軟で強いものはありません。
変幻自在な水のように、常に時代の変化に対応して進んでいく。それがスローウォーターです。
と、当サイトのトップページに書いてあります。
この「スローウォーター」という言葉、私が考えた造語ですが、この言葉には、いろいろな意味を込めています。
鴨長明の『方丈記』、みなさんもご存知ですよね。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」という冒頭の一節が有名です。
私はこの一節が好きで、スローウォーターはこの『方丈記』のイメージが、最初の発想のもとになっています。つまり「世の中のものは、常に変化する」=「諸行無常」ですね。
そして、「行雲流水」。これは仏教用語です。
以下は、弊社発行の『人間は何度でも立ち上がる』(山田忍良)からの一文です。
空を行く雲や流れる水のように、物事に執着せず、自然の流れに逆らうことなく生きて行く様子を「行雲(こううん)流水(りゅうすい)」と言います。特に諸国を行脚(あんぎゃ)する禅宗の僧侶を「雲水(うんすい)」と呼ぶのは、この「行雲流水」からきています。
私は最近、この水のように生きられたら……と思っています。川の水が石の間を流れて行きます。水は少しも石と喧嘩しません。石が行く手をはばんでも、水は少しも怒りません。そのままに従います。融通(ゆうずう)無碍(むげ)です。流れるように自由に行きます。障害があってもそれに遮(さえぎ)られません。水の方から負けていくのです。まさに「負けて勝つ」のです。
そうして、最後には避けた水に、石の方が負けて丸められていきます。削(けず)られていくのです。水が削られるということはありません。なんと固い石の方が柔らかい水に負けて、角がとれて丸くなっていくのです。
そして、もう一つは、私の好きな詩人・坂村真民の詩です。
すべて
サラリサラリとゆこう
水が流れてゆくように
木の葉が落ちてゆくように
こだわりなく
一切をまかせて
サラリサラリと
生きてゆこう
「行雲流水」「鴨長明」「坂村真民」
これらはすべて私の中でつながって、1つの大切な世界観、人生観となっています。
スローウォーターrは、それらのイメージを体現した言葉なのです。
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